My Backbone 本と映画と音楽と 〜「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて〜
『飛ぶ教室』(ケストナー 著。1933<昭和8>年 初版。丘沢静也 訳。光文社古典新訳文庫 刊)
※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから
以下、千葉県の高校で地歴公民科の先生を頑張っている教え子からのメールへの返事より。
いただいたレポートの最後に先生が書いていた「教員が主体的に考え、学び続ける姿勢を生徒や教育実習生に示す」
という文章を読んで思い出したのが、ビルドゥングス・ロマンのドイツ文学の教養小説『飛ぶ教室』(ケストナー作。丘沢
静也訳。光文社古典新訳文庫より)の、以下の台詞です。
「教師には、とんでもない義務と責任がある。自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。でないと生徒は、朝ベッドから
起きださず、授業はレコードで聞けばいいってことになるだろ。だがね、ばくらに必要なのは人間の教師であって、2本足の
缶詰めじゃないんだ。ぼくらを成長させようと思うんだったら、教師のほうだって成長してもらわなきゃ」。
これは、新学習指導要領の「資質・能力の3つの柱」(私はこれを、生徒や「同僚」へのわかりやすい伝え方として、
「パワー7(七つの学力)」と言い換えています。語呂合わせも作りました。「契る 師範の表 向かう人」です。すなわち、
「知識・技能 思考力・判断力・表現力、学びに向かう力・人間性など」の覚え方です)でいうと、先生も「評価を行うことは
不適切」と指摘している「学びに向かう力と人間性など」に重なる姿勢・態度(コンピテンシー)でしょう。昨年度、私が教務
主任として「生徒による授業評価」の評価項目に加えたのが、「先生の授業には熱意と工夫が感じられる」でした。「率先垂範」
「先ず生きてみせる(よく生きる)=先生」などの教師観の通り、教員の資格的能力として「必要条件」の一つだから評価が可能
なのであって、「可塑的」で「途上的」な生徒を評価する「ものさし」にはふさわしくないでしょう。評価という教育的な営みを、
事後的評価と形成的評価の二つに分けて考える際の、後者に当たるからです。教育的な意義の大きな文化史学習や学び合い
学習の「パイオニア」的実践を、これまで先生が積み重ねてきた成果を、レポートの随所に感じました。参考にします。改めて、
ありがとうございました。 2019.8.17
卒論で研究した李贄(李卓吾)を主人公の一人にした漫画『三夢伝』(未完? 中断?)を読み返した流れで、『近世随筆集
中国古典文学大系』(平凡社)に収められた李贄の主著「焚書」の抄訳(溝口雄三)を拾い読みした。訳者がまとめた「李贄年譜」
で紹介されていた次の文章は、ケストナーの『飛ぶ教室』で描かれた教師観や教育観に通じるものがある。
宏甫(李贄)が…、毎日友人を集めて学を講じていたが、ある僚友が、「読書にもなじみ理義にも通じている吾々が、何で今更
学を講ずることがあろう」と言った。すると宏甫は、「君たちは優秀な成績で科挙にも及第され、書を読まなかったどころではない。
しかし残念ながらまだ学を識らない。…『論語』や『大学』はもちろんお読みになっているはず。しかし『論語』巻頭の「学」の一字、
『大学』巻頭の「大学」の二字、この三字については、諸君はまだ識りえていない。何故か。これを識るには何よりも己に実証し
体aするところがなくてはならない。…それすら能わぬに、何でこの字を識っていると自負しえよう」と答えた。
ケストナーの言葉の復習。「教師には、とんでもない義務と責任がある。自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。でないと
生徒は、朝ベッドから起きださず、授業はレコードで聞けばいいってことになるだろ。だがね、ばくらに必要なのは人間の教師
であって、2本足の缶詰めじゃないんだ。ぼくらを成長させようと思うんだったら、教師のほうだって成長してもらわなきゃ」。
2019.8.18
校内初任研(本校の進路指導について)で講師(?)として、初任の先生相手に「50分授業」的に話をした。用意したレジュメの
土台は、4月の第2回職員会議提出資料である、「今年度の進路指導課の目標と方策」「業務と業務分担表」。「若い先生達に
こそ、『パワー7』(新学習指導要領」の6つ目と7つ目の力、学びに向かう(学び続ける)力と人間性等の力を高めて欲しい。
生徒に成長や進化を求めるなら、先生が成長や進化し続けなきゃね」(後半はケストナー『飛ぶ教室』からの引用)という考えが
伝わったならばうれしい。 2019.8.23
「大人って怪物を知ってるかい? 分別臭くって、一方的で、形式的でまったく扱いにくいったらありゃしない。子どものことなんか
わかろうとしないんだ。それは自分が一足とびに大人になったと思っているから。本当はだれも、はじめは子どもだったのに…。
君のまわりの大人はどうだい、やっぱりそうだろう。でも、自分に子ども時代があったことをまったく忘れてしまったんじゃないかと
思う。きっと心の片すみの引き出しにしまいこんでしまったんだ」。これは、1970年(今から50年以上前!)に公開された映画
「小さな恋のメロディ」のサントラレコードのライナーノーツに書かれた言葉で、三宅真一郎氏の文章です。ケストナーの『飛ぶ教室』
のテイストを感じます。「憧れ=童心(子どもの心)」を、死ぬまで…。 2021.6.9